おもしれー女

自分が初めて敷嶋てとらの動画を見たのは、確かトルココーヒーを飲みに行く動画だったと思う。
その前後に下北沢へ行く機会があり、YouTubeのおすすめ欄に流れてきた動画に惹かれて見たのだろう。

はじめはVTuberによくある単発のVlog動画かと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
動画のサムネイルには酒が写っているものが多く、普段から飲み歩いているようだった。絶対に呑兵衛じゃねえか、と確信した。

動画を何本か見ていくうちに彼女のどこかポンコツな雰囲気と声が気に入り、いつの間にか動画の更新が待ち遠しくなっていた。

エッセイ集を読む

そんな敷嶋てとらのエッセイ集が発売されたということで、購入して読んでみた。

Vlogをメインに活動する彼女のエッセイ集はどんなものだろうと思っていたが、そこには、動画では語られなかった余白に書き留めたメモのようなものが、エッセイとしてまとめられていた。

敷嶋てとらがどんな背景や環境から生まれた存在で、何が好きで、どんな行動原理を持っているのか。なぜひとりでいることにこだわるのか。動画と動画の狭間にあった、そういう小さな「なぜ」を、文字にしてまとめたものがこの本です。
–P8 まえがき

読んでみて思ったのは、想像していた以上にスルスルと読み進められるということだった。
本の中に書かれていたのだが、動画のナレーションはすべて台本を書いているらしい。
なるほど、読みやすいエッセイになっているのは、そうした文章を書く習慣も関係しているのかもしれない。

読み進めるうちに、動画で見たシーンがふと思い出される。
あの動画の裏ではこんなことがあったのか、こんなことを考えていたのか、という副音声を聞いている気分になった。
一度読み通したのだが、各節で対応する動画を見ながらエッセイを読み返してみるのも面白いかもしれない。

特に印象に残ったところ

エッセイ集の中で特に心に残ったのは、「15 スタンプラリーじゃない旅行」だ。

みんなが挙げた観光地を順番に周るその旅行は、どこかスタンプラリーのように感じられた。
–P105 15 スタンプラリーじゃない旅行

彼女の散歩Vlogでは、目的地はあるものの、その場の思いつきで気になった場所に立ち寄るシーンがよくある。
スタンプラリーのように目的地を制覇することよりも、そこへ向かう道中を楽しんでいる。
そうしたところも、彼女の散歩Vlogを魅力的に感じる理由なのだろう。

旅行で印象に残るのは、本当はなんでもない景色なのだと感じている。
–P111 15 スタンプラリーじゃない旅行

自分が旅行しているときに好きなのは、知らない土地を目的もなくふらふら歩き、その場の空気に自分の身を浸している時間なのだと思う。
–P111 15 スタンプラリーじゃない旅行

この文章を読んで、ふと今の自分のことを考えた。

秋田に住む今、東京へ行くのは、たいてい出社するときか、何かしらのイベントがあるときだ。
秋田からとなれば、ほとんど旅行のようなものである。

しかし、帰りの飛行機という絶対に動かせない予定がある。
保安検査の締め切りもあるし、電車が止まる可能性だってある。
そう考えると、どうしても時間を逆算して行動してしまい、目的を決めずに歩き回ることが怖くなっていた。

関東に住んでいた頃はよく目的地を決めずに電車に乗って普段降りない駅で降りて歩いたり、普段は曲がらない角を曲がって路地へ進んでみたり、気になった店にふらっと入ったりしていた。
それがいつの間にかできなくなっている自分に、この本を読んで気づかされた。

彼女の散歩Vlogを見ることで、自分ができなくなっていた「目的もなく歩くこと」や「寄り道をすること」を代わりに体験してもらっているような感覚になっていたのかもしれない。

動画の副読本として

正直なところ、このエッセイ集はある程度彼女の動画を見ている人向けの内容で、彼女のことをまったく知らない人に勧めるのは少し難しい。
しかし、普段から動画をよく見ている人にとっては、動画の背景にある彼女の考え方や価値観をより深く理解するための副読本として楽しめる一冊になっている。

散歩が好きな人、酒が好きな人はまずは彼女の動画を見てその雰囲気に触れてみてほしい。
そして動画が気に入ったならこのエッセイ集を読んで、彼女の考えにも触れてみてほしい。
このエッセイ集は、自分もまた東京の知らない路地を当てもなく歩き回り、ふと見かけた店に入ってみたい、そう思わせてくれる一冊だった。